<遊牧民「鮮卑」はエキゾチックな外見をしていたとも考えられていたが、復元された武帝の姿はこれとは大きく異なるものだった>
約1500年前の中国を生きた皇帝、北周の武帝の顔が中国復旦大学の研究チームによってDNAを基に復元された。
これまで文献や絵画でしか窺い知ることのできなかった古代中国の統治者のリアルな姿は学術誌に発表され、研究者の1人は今回の発表によって「歴史上の人物に命が吹き込まれた」と語っている。
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■「エキゾチック」な外見と考えられていた鮮卑だが
3/29(金) 19:11配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/7e0f03e145773873f64c8daa121c4057db7343b8
【新華社上海3月29日】中国上海市の復旦大学科技考古研究院は28日、陝西省考古研究院と共同で作成した南北朝時代北周王朝の武帝、宇文邕(うぶん・よう、543~578年)の頭部の復元図とこれに関連する考古学研究の成果を発表した。
科学技術を駆使して古代の帝王の顔立ちを復元する試みは中国で初めてとなった。
歴史書の記載によると、宇文邕は遊牧民族・鮮卑(せんぴ)の出身。
中国北方を統一後、「突厥(とっけつ)を制圧し、江南を平定する」野心に燃えていたが、志半ばにして早世した。
阿史那(あしな)皇后とともに、現在の陝西省咸陽市にある孝陵に葬られている。
(省略)
復元図中の宇文邕は黒い髪、黄色の皮膚、茶色の目をしており、典型的な東北アジア人、東アジア人の顔つきと言える。
鮮卑族と聞いて多くの人が想像する、ひげが濃く、髪が褐色で、彫りが深く、鼻の高いイメージとは大きく異なる。
唐代の画家、閻立本(えん・りっぽん)も「歴代帝王図」で宇文邕を描いているが、ふっくらした顔にどっしりした体つきをしており、今回復元されたシャープな容姿とはやはり違いがある。
文氏は「宇文邕の家系をたどると、祖母の王氏は北方の漢人だった可能性がある」とし、「鮮卑族は多民族が融合する過程で形成された可能性が高い」と指摘した。(以下ソース)
2024年3月29日 23時50分
https://news.livedoor.com/article/detail/26137709/
https://afpbb.ismcdn.jp/mwimgs/6/2/-/img_622d1787cd111296de177b6e747395ff154682.jpg
エラ
アジア系
役満?
胡(匈奴、つまり現在の内モンゴル自治区)の東に有った東胡(内モンゴル地区の東~満州西部付近)が匈奴に負けて更に東に逃げたのが
烏桓(三国志では烏丸)と鮮卑
ウィキペディアではモンゴルの歴史分類上になっている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AE%AE%E5%8D%91
普通知られてるのは前漢のやつだな
そんな技術いつ確立できたん?
遺骨があるんで合わせ技じゃないかな
場所的にも今でいうモンゴル系の血が濃いんだろうな
実際鮮卑はモンゴル系説が最有力、ハプロもC2
引用元: https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1711923019/
コメント
いくら美容整形の技術が上がって上辺だけ綺麗()にしてもこのDNAが脈々と受け継がれていくのは変えられないんだよな