――1991年に「月刊少年ガンガン」創刊号で漫画家デビュー。いちばん忙しかったのはいつ頃ですか?
柴田亜美さん(以下、柴田)
デビュー翌年に『パプワくん』がアニメ化されて、その数年後には「月刊少年ジャンプ」や「週刊ファミ通」での連載が始まって……。
漫画家生活2~3年目で、もう地獄でしたね。
中略
――バブル崩壊後の90年代に「出版バブル時代」が到来します。
柴田
90年代って、少年漫画は『SLAM DUNK』や『幽☆遊☆白書』、少女漫画なら『美少女戦士セーラームーン』とか、ヒット作が連発でしょう。
当時のジャンプが600万部の時代ですから。
私もあっという間に連載が増えて、パプワくんの2話目を描いた後に、会社を辞めました。
あの頃、キツかったのは『自由人HERO』を連載していた「月刊ジャンプ」のネーム直し。何度、編集をぶん殴りたいと思ったことか(笑)。
とはいえ、アシスタント経験もない自分に漫画のイロハを叩き込んでくれたわけですから、集英社には足を向けて寝られません。
――慣れない漫画家生活はどうでしたか?
柴田 デビュー当時はアシスタントさんもいなかったから、1人で高円寺のアパートにこもりっきり。
ものすごい孤独感で、精神的に追い詰められるし、やっぱりちょっとおかしくなりました。何度も発狂しそうになりましたね。
――食事はどうしていましたか?
柴田 出来合いのものを買ったり、近所のデリバリーを頼んだり。あるいは、食べない。あまりの忙しさで食べる余裕がないときも多くて……。
そういうときは栄養ドリンクを浴びるように飲んで、最終的には男性向けの強壮ドリンクにも手を出していましたね。
ところが、ある日、医者をやっていた父が冷蔵庫の中を見て、「これは興奮剤だから絶対に飲んだらダメだ!」とかなんとか言って、全部捨てられたんです。
中略
――休みは年間で何日ぐらいありましたか?
柴田 いちばん酷いときは……ゼロですね。休みどころか、睡眠時間も人生で普通の人の3分の1以下しか取れていない気がする。
「36時間起きて、4時間寝る」というような生活でした。
中略
柴田 当時、まわりにカラダを壊す同業者が続出して、冗談抜きで「死にたくない!」と思ったからです。
ずっとまわりにいる人間がみんな不健康だったから、変な状況に慣れてしまったのよね。
だって「30時間寝てない」とか、当時は当たり前の会話でしたから。
当然、早くに亡くなる漫画家の知らせも続いて……。このままだと自分もヤバいと思って、44歳でジムに通い始めました。
そこでカラダの歪みや筋肉量を細かく測定してもらったら、トレーナーから「このままだと50歳で寝たきりですよ」と言われて。
全文はソースをご覧ください
これだけのスケジュールを全部こなす大日本印刷スゲー
綺麗な人じゃん
同人誌というかガンガンはENIXだから
ドラクエパロディをやってた人たちをデビューさせてたんだよ
冨樫と武内直子が出会ったのってこの人が開いた合コンがきっかけだったんだっけ
鳥山明のアシ出身なのかと思ってた
男女問わず恋人とかいねえの?
若いレスラーをいっぱい飼っててエサと金をあげてる人
マダム・アミ
相変わらずマッチョな男が好きなんだな
今で言うとワンピースだろ?
HEROは本編より番外編で腹捩れるくらい笑ったわ
だよな
顔写真を公表したとたんに女性読者からのファンレターがぱったりと来なくなった漫画家がいたから
なるほど!
引用元: https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1663486983/
コメント
ドラクエ4コマはファンレター出すと作家から返事来たぞ
ほぼ全員分の返事持ってる
まともに完結したの自由人HEROだけって考えると月ジャンの編集はちゃんと仕事してたんだな