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私の母を勧誘した統一教会の人々の記憶
勧誘に来る信者たちは、「障がいは前世からの罪だ」と言った。
身体障がいを持って生まれたことは、前世で悪い行いをしたその罪が現世に現れてしまっている証拠だから、心を悔い改めて今を生きなさいと、当時の勧誘者たちは堂々とそう言っていた。
これはとてもトリッキーな文句で、今の感覚では考えられないことかもしれないが、当時は宗教家や一般の人の間でも障がいをこのように捉える人が少なくはなかった。
実際に、ご近所のお年寄りに私も似たようなことを言われたことがあった。
彼らは悪気で言ったのではなく、そのように考える傾向が当時の日本社会にはまだあったということだ。
今振り返って考えてみると、統一教会は「養護学校」という場所を戦略的に勧誘のターゲットにしていたように思う。
スクールバスがない学校で、特殊な事情を抱えた親たちが駐車場に集う。
誰もが、健康な子供を持つ人には解ってもらえない辛さや、先の見えなさ、子供の医療のことなど、人に言えない悩みを抱えている。
そんな母親たちが互いの悩みを打ち明けあったり、あるいは慰めあったり励ましあったりする場所に現れて、
障がいの罪深さを口説き、ゆがんだ方向性で親たちを励ますようなことを来る日も来る日もされたなら、
統一教会という宗教それ自体に嫌気がさすか、または嫌気を持つことにも疲れて入信してしまうかのどちらかだろう。
教師たちが宗教勧誘を黙認している、という状況も彼らにとっては好都合だったのかもしれない。
当時の先生たちも執拗な勧誘行動に心底困ってはいたものの、無下に追い払うと逆恨みされそうだとヒヤヒヤしていた。
「養護学校」といういわばマイノリティの学校で、騒ぎを起こされたら困ると話していた。
陰口なら言えるものの面と向かって「勧誘禁止」と言えないジレンマがあった。
やがて養護学校にもスクールバスが導入されるまでの6年間、母はどんなに親しげに話しかけられても満面の笑みではねつけ、勧誘者の言葉を巧みにスルーしながら入信せずに乗り切った。
私は娘として「あっぱれ」とはとても思えない。
人を信じず、笑顔の裏を読み、そんなふうに人間不信を貫く生き方を余儀なくされたことに、怒りさえ覚える。
では、入信してしまえば楽だったかと問われれば、結果は昨今のニュースを見れば分かるだろう。
山上容疑者があのような事件を起こしたとき、私は当時のことを思い出した。
授業参観おわりの駐車場。妹と一緒にいた私に笑顔で話しかけてきた「普通のおばさん」たち。
「お姉ちゃんなのね。妹の面倒見て偉いわね」
「妹さん、歩けないの? 喋れないのね。お姉ちゃんが妹の代わりに喋ってあげてるのね」
おぼろげな記憶に輪郭が徐々に浮かび上がってくると、ぞっとした。母が人間不信を貫いていなかったら、私だって山上のようになっていたかもしれないのだ。
そして何より、私をぞっとさせたのは、山上があのような犯行を起こす動機となった彼の母親は、子供の頃の私に話しかけてきたあの「普通のおばさん」たちの仲間だったということだ。
そして妹の同級生の親の何人かは、「普通のおばさん」たちの仲間になってしまった。
母の忍耐力が尽きていたら、母も「普通のおばさん」たちの仲間になり、私や妹も山上とそっくりな苦労の多い人生を歩むことになっていたかもしれない。
そう想像を膨らませると、人はほんのわずかなズレで、人生を大きく狂わされてしまうのだろう。
こんなものは宗教ではない。
人を救うはずの宗教が、現実にはまったく逆の道を人に歩ませていることに、改めて憤りを覚える。
統一は常に女性をターゲットにするよな
男性信者は二世ばかりみたいだし
合同結婚式に韓流ブームは日本女性を韓国人と結婚させるため
チョンがいかに歴史に無知ががよく分かる案件
前世とか先祖の救済とか言えるなら
ザビエルは苦労しなかった
それが出来ないから日本で布教に苦労して結局失敗
嘘を言って勧誘したということだな
我々は強くなくてはならない
引用元: https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/news/1662361715/
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